新渡戸 稲造 (小坂 圭二・作) 制作 昭和58年
昭和五十七年四月に、東京で稲造生誕百二十年の集いがあり、この話に感激した故・直町一三郎さんが新渡戸家代々への報恩の心をこめて贈った像です。原型の石膏像は、稲造博士がかつて子供たちにお話を聞かせた三本木小学校の正面玄関に設置されました。
この像は、始め新渡戸家の邸内に設置されることになっていましたが、当時ご健在だった憲之氏が教育性を考え、太素塚にと決められた経緯があります。稲造博士が東京大学の入学試験を受け、どんな目的でここを選んだのかと聞かれたとき、「願わくばわれ太平洋の橋とならん」と言ったといわれています。注意して台座を見ると、局面の橋の下に太平洋の波形が表現されています。
札幌農学校教授・第一高等学校長・東京帝大教授・初代東京女子大学長・国際連盟事務局次長そして貴族院議員。この間に学習院長もし、有名な乃木大将とも肝胆相照(かんたんあいてら)す仲で、教育者として有名でした。
子供たちに平和を語りかけるような前傾姿勢のポーズは、そうした博士の生涯を象徴しています。
「作品の解説」(解説文は、市民文化センター元館長 今純一郎氏)
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