早 蕨  (佐藤 忠良 作) 制作 昭和55年

作者佐藤忠良を「首切り」の男という人があります。いろいろな地方の生活と風土を堅実に表現する、非常に多くの首の彫刻に手がけた人だったからです。首の次に「ジーパンをはく女」「帽子をかぶる女」などの裸婦全身像の時代になります。 その時代の代用作がこの早蕨(さわらび)です。 佐藤忠良の製作態度は、一貫して理想的な人間像・人間美を追求することに特徴があります。 「早蕨」のモデル笹戸千津子さんは,雪どけの山から芽を出して、やわらかいながら芯(しん)の強い、たくましい剛と柔を合わせ持った蕨のような、そんな人柄です。 作品をみておわかりと思いますが、控えめのような表情をしながら、自由に伸びやかに生きる強さや健康さが、よく表現されています。 具象の世界で、佐藤忠良は日本のロダンといわれるのも、理想的人間美の追求姿勢がはっきりしているからなのです。

「作品の解説」(市民文化センター元館長 今純一郎氏)

 

作者略歴

佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう)
 
(明治45年)宮城県黒川郡生まれ
 
(大正 8年)母弟ともに北海道夕張町に移住
 
(昭和 6年)道展に入選

(昭和 7年)蒼樹社展(絵画)受賞、上京し川端画学校に通う

(昭和14年)東京美術学校彫刻家卒業、新制作派協会彫刻部が
                  創立され、会員となる。
 
(昭和19年)招集され満州へ

(昭和20年)シベリアで抑留生活、帰国後東京都在住
 
(昭和34年)第3回高村光太郎賞を受賞
 
(昭和35年)札幌大通公園に「開拓母の像」設置

(以降の略歴は「風」に掲載)

資料提供 十和田市