新渡戸 傳 (小坂 圭二 作) 制作 昭和33年
昭和33年5月4日、稲生川上水記念開拓百年祭に参列した小坂圭二は、新渡戸傳の写真を見て感激。製作に入りました。
「この姿は、日本歴史の近代への夜明けを、身をもって担ってきた人々の姿だ」と感じ、「傳翁は、かの広漠たる原野に立ち、遠く八甲田を眺め奥入瀬川の水音にに耳をかたむけ、かの空と山嶽との接点に水蒸気を感じたのではなかったか。私はそのように翁の像を作った」と述べています。(三本木原開拓誌考・新渡戸憲之著)
「像の据え付けは、神輿かつぎの名誉をもつ元町の赤はんてんの人たちで、傳翁の命日九月二十七日の除幕がキティ台風襲来で一日延び、三歳九ヶ月の澄恵の手で除幕された日は台風一過の秋晴れだった」と、新渡戸稲子さんも「思い出草」に、その日の盛事を記しておられます。
「新渡戸傳翁は十和田市の開祖にして守護人たり」と当時の農林大臣三浦一雄の撰文にある通り、傳翁は太素の杜でこの十和田市の発展を静かに、しかし誇る顔も見せずに見続けています。雨と風雪の季節の顔がたまらなく美しい。
「作品の解説」(市民文化センター元館長 今純一郎氏)
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